母が亡くなりました

仲良く並んでいます

31日、母親の体調が悪そうだったので、昼ご飯のサンドイッチと夕飯の雑炊を作って出かけた私。31日は電話がつながらなかったが21時を過ぎていたので調子悪くて寝たんだな、と思っていた。
8月1日月曜日になってもなんとなく心配で、朝から会議の合間にメールを入れたり携帯や実家に電話をかけたりしていた。実家がかからないのはかかりつけの先生に出かけているから、携帯がかからないのは病院に入っているから、と思い込んでいた。
それがお昼過ぎに思い立ってかかりつけの主治医の先生にお電話して「今日は来ていませんよ」と聞いて事情が変わった。アポを前倒しして、打ち合わせを1つキャンセルして茅ヶ崎に戻る。戻る最中、お正月に泥棒が入った時に契約したSECOMに電話して、入って、何か問題があったら救急車を呼んでください、とお願いした。
その時は確信、とは言わないけれど、何かの予感はあった。熱中症か、体調不良か、意識はあるかしら、と考えていたが、それでも亡くなる事は意識的に排除したのかもしれないが考えなかった。
SECOMから横浜を過ぎた所で連絡があり、「明らかに亡くなっています」と言われた。警察に電話して、実家で合流する手配をしてから茅ヶ崎に向かった。
着いて会った母はいつもと同じようにお気に入りの椅子で昼寝をしていた。いつもと違うのは唇と目元が黒くなっていることだけ。背もたれの座布団にくびれができるほど、よく頭をもたせかけていた箇所に同じように頭を乗せて、首を右にかしげて眠っていた。
警察の方が来てからは3時間ほど、親子関係や生命保険、職場での軋轢、勤務体系、主治医の先生の所見、発見までの経緯など、詳細に聞かれた。合間に母のお友達に連絡を取って、連絡をお願いした。病院の勤め先関係は警察にストップされてできなかった。
母の遺体が引き取られたのが18時頃。31日に用意したお昼のサンドイッチだけなくなって、どこにも捨てられていなかったから、多分食べてくれて、冷房をいつもよりも1度下げて、転寝を始めたのだろう。
解剖の結果、死因は脳出血。あれだけ好きだった父親と、亡くなった干支も、月も、死因も、葬儀会場も、遺体安置の部屋も、式場の階も、何もかも同じだった。8月5日のお通夜、6日のお葬式と無事終え、棺には父がいたずら書きをした「父・母」と書かれたしまうまのぬいぐるみを入れた。
本人も私も死ぬ気がなかったから何も整理がつかず、何も分からない。何も見つからない。それでも少しずつやらないと。
いつも忙しく、楽しく動き回っていた母親。ありがとうを言いつつ、同じ干支なら12年後じゃだめだったの?と少しだけ文句を言ってみた。