8月もおしまい

8月は特別な月になってしまった。
母と父と伯父の命日があり、だんなさんと次男坊の誕生日があり。祖父が終戦記念日にちなんで色々な戦跡に連れて行ってくれた思い出も8月に残っている。
幼い頃から家族5人、父母と祖父母と暮らしてきて、誰一人欠けることなく成人を迎えたが、祖父が平成11年のお正月に亡くなったのを最初に12年の間に誰もいなくなってしまった。
実は、全員に共通しているのが「私が作ったものを最後に食べている」事。こういうと一服盛っているような感じがするけれど、そうではない。
祖父はお正月に作った黒豆とお屠蘇を持って自室にサッカー観戦に入り、平らげてから眠るように死んでいた。
父は癌でそろそろ、と言われていたが、マスクメロンと桃をタッパに入れて持って行ったのを朝食べて、その晩亡くなった。
祖母は水筒にこっそり持っていったミルクセーキ。母は亡くなってから半日ほど経って見つけたが、お昼用にと作って置いていったサンドイッチとオレンジジュースはなくなっていてごみ箱になかったから食べたのだと思う。
近親が亡くなると年齢に関係なく様々な後悔をするわけだが、それだけでは気持ちがふさがって生きていかれないので、自分を納得させようと、褒められる要素を見つけようとしたりする。
お屠蘇にお気に入りの熊沢酒造のぎんからとアルコール添加のないみりんを使ってよかった、とか。
高くて悩んだけど、美味しさ優先でマスクメロンと特別な白桃にして良かった、とか。
ミルクセーキらでぃっしゅぼーや低温殺菌牛乳と平飼い卵で作ってあげて良かった、とか。
サンドイッチを家で焼いたパンと平飼い卵のスクランブルエッグと手作りマーマレードで作って、オレンジジュースも絞ってあげてよかった、とか。
そういう納得の仕方をする。
いつも最期の食事を作るつもりで台所に立っているわけではないけれど、ついつい食事はこだわる。加工食品を買う時は添加物とか見てしまう。今は家電も充実しているし、ちょっとした一手間も時間を食わない時代。これからもちょっとだけこだわっていきたい。